飛び魚礼賛
自然界は残虐で過酷
この映像、良く撮ったなと思う。
撮影も編集も素晴らしい。
大型の肉食魚から逃れるために飛び魚は飛ぶ術を発達させたというのに、飛んだら飛んだで空には別の捕食者、海鳥達が待ち受けている。
みも蓋もない残酷。
飛び魚の獲得した飛ぶ能力が逆に仇となるわけだ。
未だ種の絶滅には至っていないわけで、生存戦略として大局的には、飛び魚という種は正しい方向に舵を切ったのかもしれないが、この映像に登場する「前門の虎、後門の狼」状態の飛び魚達からすると、神を呪わずにはいられないだろう(知能があったなら)。
一体何のために飛ぶ力を授かったのか、と。
このように
個別の事柄に注目するなら、自然界は悪意ともとれる不条理に満ちているように思える。
おそらく測る尺度によってその見え方は異なるのだろう。種としての善、あるいは、生態系としての善は、個体レベルではしばしば真逆に働く事があるように思う。種のレベルでは条理にかなっている事柄だとしても、個体レベルでは不条理としかとらえられない、こういった飛ぶ力を発達させた事で海鳥の餌になってしまった飛び魚の悲哀は、知能を発達させた霊長類ヒト科の世界では、自殺という形でよく観察される。
話を映像に戻そう。
「後門の狼」から逃れたため「前門の虎」である海鳥に直面した飛び魚は、飛び過ぎたものはそのまま捕食されてしまうが、飛んだ勢いを殺し垂直落下する事でさらに海鳥から逃れるものもいる。
海には大型魚、空には海鳥という、まさに四面楚歌、絶対絶命の状況のなか、飛び魚達は海と空を縫う様に飛び回り懸命に生き延びようとするのである。往生際のスレスレを飛び、跳ね、踊る。
与えられた能力を最大限に使って、押し付けられた不条理に懸命に抗うその様子は、奇妙に楽しく、美しく、感動的ですらある。
飛び魚の今際の際の迫力に、畏れ入った次第である。