妄想放浪記

三十代男の日々の徒然。音楽、映画、ゲーム、妄想世界の放浪日記。

すかんぴんのススメ

僕らは日々何らかのゴールを定めて生きている

 

預金を幾らまで貯めようだとか、結婚し幸福な家庭を築こうだとか、もっと小さい話で言えば、仕事の後美味しい夕飯を食べにいく事だったり、夏休みの旅行の予定だったり。

 

そして、それら大小それぞれのゴールまでの道のりはあくまで過程であり、多くの場合、耐えるべき退屈な時間、あるいは、人によっては苦痛の伴う時間ですらある。ゴールが蠱惑的であればあるほど、それまでの時間は相対的にはつまらなく感じる事だろう。とはいえ、この耐えるべき時間は半面夢の膨らむワクワクできる時間であるとも言える。例えば、旅行を計画している段階は、あれこれ想像を膨らませて楽しいものである。

 

この旅行を例に考えてみるならば、

計画段階は楽しかったものの、当の旅行が始まってみるとやたらと疲れるだけだったりするように、ゴール自体が思ったほど良いものではないケースもままある。

 

年齢を重ねるほど、大小様々なゴールの経験も積み重ねていく事になり、今後新たに定めたゴールにたどり着いた後本当に達成感や喜びや楽しみを得られるのかどうか、ある程度想像がつくようになる。

 

そして、経験を積んできた多く大人の場合、

先に述べた旅行の話のように、ゴールした所で実際たいして面白くないだろう、たかが知れてるだろう、という目測がたってしまい、ゴールを目指そうという気力自体が萎えてくる。

 

そうなってくると灰色の日常は、さらに色褪せていき、何のために生きるのかという動機、平坦な毎日の存在理由そのものが希薄になる。

 

それが老いるという事ではないだろうか。

 

そうしてほとんどの人間は

老いさらばえた果てに真っ白のボロのようになってくたばるのだ。

 

人は年をとるほどに経験を重ね、経験を重ねるほどに人生を見限っていく

 

この視座に立って考えてみるならば、持てる者ほどつまらない人生に飽きているケースは多いかもしれない。何故ならば、持てる者ほど多くを経験している人間であり、知っているが故に最早ゴールに夢を見れなくなった人間であるからだ。

 

持てる者とはRPGでいうところの、ゲーム終盤あるいは、レベル99近く、そんな感じではないか。

 

多くのRPGでも楽しい時はやはり、まだ見ぬ未知のマップが待っている、ゲーム序盤や中盤、あるいは、これからキャラクターが様々な技を覚えていく余地ある低~中レベル帯の時なのである。

 

リアルはRPGとは異なり、何処までも無限でありレベルキャップなどないと言う意見はあるだろう。

確かにその通りではある。

世界は未だに未知で得体のしれないものであり、宇宙というマップは拡張を続けている。

 

ただ、

人生の時間は有限である。

そして、

無限の世界に足を踏み入れる事は実に難しい。

 

科学的探求や宇宙探索などは、極一握りの選ばれた人間の特権であり、彼等にとっての世界は無限であるかもしれないが、我々多くにとってはそうではないだろう。ちょっとやそっとの大金を持っている者、持てる者達さえ含んだ我々にとっては。

 

残念ながら、多くの者にとって人生で経験値を積むことを回避する事は難しく、知らず知らずレベルが上がってしまう。他方、レベルキャップのない無限の世界に足を踏み入れる事も叶わない。

 

生きることとは

未知を失い続けていく

その残虐な老化のプロセスなのだ。

 

老いを遅らせることはできるのか

 

無限を感じて生きることが出来れば、老いを遅らせ得るが、先に述べたように、世界の無限性に触れられる人間は一握りである。人生に未知という余白を維持する事ができる環境、好奇心や探求心を尽きさせない才能、それらに恵まれた人間は一握りであり、それ以外の大多数の大人は、有限に見える世界に飽き疲れている。そして、みるみる老いていく。

 

もし老いを遅らせる事を望むのであれば、有限に見える世界を何とか拡張しなくてはならない。しかし、拡張を許されているのが、一握りの特権を得た人間だけであるならば、そこに入れなかった大多数の我々はどうすれば良いのか。

 

自らを縮める事ができれば、世界は相対的に拡がる

 

自らを縮める、つまり、自身が今まで獲得してきた何もかもを放棄すれば良いのではないか。捨てたくとも捨てられないのが経験値であるが、フィジカルなモノは捨てる事ができる。モノとは云わば世界を渡り歩くための武具であり、武具がなければ、自身は徒手空拳で世界と向き合わねばならなくなる。自身のレベルは下げる事はできないが、武具が無ければ相対的に世界の難易度は上がる。人生に飽き疲れた大人にとっての未知の世界が待ち受ける事になる。

 

火をつけるといった文明人には簡単な作業でも、ライターやマッチが無ければ、途方にくれるほど大変な作業になる事だろう。しかし、それは多くの人にとって未知であり、まだ見ぬゴールである。

 

放棄するのに、金や学歴はいらない。ラッキーな事に誰だってできる。野山に出掛けてテント暮らししようてすれば、またそれにも金がかかるが、いまこの場で自身の暮らしを放棄するだけならば無料である。必要なのは崖から飛び降りる勇気だけだ。

 

裸一貫、すかんぴん。

 

いきなりその状態に飛び降りるのは恐ろしすぎるとしても、まず目の前のモノ、いらないモノではなく、あなたにとって必要なモノを捨ててみるのはどうだろう?例えば、あなたを加速度的に老化させている、その大切なスマホなんか、最初に捨ててみては如何か?

 

モノを捨てれば捨てるほどに世界は拡がり、灰色の世界は少しずつかつての彩りを取り戻す。

 

全く馬鹿げた考えのようだが、馬鹿げてるが故の意味がある。ただし、捨てた先、どうなるかは保証できない。保証できない事にこそ、未来という未知があるのだから。