妄想放浪記

三十代男の日々の徒然。音楽、映画、ゲーム、妄想世界の放浪日記。

マニーと名誉

僕は雀の涙程の金額を日雇いで稼ぐ以外は貯金を切り崩す生活という、ほぼほぼ底辺無職なのだが、それゆえにお金について日々考える機会が多い。

 

お金とは何か。

 

それは、死なないため、毎日を心地よく暮らしていくための万能交換チケットだ。

ありすぎて困ることはない、腐ることはない。

 

金、カネ、Money。

日本語のカネという響きよりも、英語のマニー、にはハニーに似た甘美な響きを感じる。

花の蜜に群がるミツバチよろしく、人はみなマニーの匂いにクラクラ引き寄せられてしまう。

そんなみんな大好きマニーなので、それを他人から譲ってもらう事は極めて困難なのだ。

 

労働という長時間の肉体的精神的拘束や、よほど魅力的なモノやサービスとの交換でなければ、それなりのマニーを得ることは難しい。マニーと交換可能な商品とは、やはりかなりのマニーかそれに相当する膨大な時間のかかったものばかりだ。

 

エンタメの世界を例に出すならば、トリプルAタイトルのビデオゲームであるとか、やや凋落気味ではあるがハリウッド超大作とか、そういったものには人は比較的容易にマニーを差し出すだろう。

しかし、例えば自主小説、あるいは自宅で録音した音楽、在野の音楽家の魂の一曲はどうか。それが例え渾身のものであったとしても、何千人の人たちが何億という金をかけ年単位の時間をかけて作り上げる超大作(しかも安い!)の横に並べてしまうと、どうしても見劣りしてしまわないか。マニーはどちらに多く流れるか。一目瞭然だろう。

 

マニーはマニーの匂いが大好きだ。マニーとマニーは惹かれあう。

手と手を取り合ってグロテスクなほどに増殖する。

怪物的超大型複合ショッピングモールの様相。

 

寂れ果てた商店街と自称作家、音楽家云々は同一レイヤーでも語り得るかもしれない。

 

ところで、

名誉職とはマニーの代わりに、名誉を戴けるという大変有難い職業である。

例えば、名誉会長などはなかなか成りたくても成れるものではない。

マニーはもう十分に稼いで、懐の潤いまくったお年寄りが人生の檜舞台の最後の最後に就任することができる、そんな憧れの職業。

と言ったら言い過ぎだろうか。

 

「宵越しの金は持たない」が、例えば古のサンビスタの間で美徳とされたように、その昔、様々な国や文化でマニーと名誉はお互い相反する世界があった。しかし、いつの間にやらマニーで名誉が買えるようになり、名誉職はマニーの潤沢な者たちの最後の特権職のようになってしまった。また、一方で名誉は社会的評価のバロメーターとなり、マニーを生み出す源泉となった。

 

もはや、マニーと名誉はズブズブの関係なのだ。 

 

しかし、

 

そうなってくると、マニーの匂いから遠ければ遠いほど、昔ながらの本来の名誉職だと言いたくもなる。

 

まあ、そんな皮肉を込めて、

名誉音楽家として僕は自らで自らに勝手に名誉を授ける事にした。

 

「名ばかりの誉れ」はいくらでもあげられます。

無用の長物。

良ければお一つ如何でしょう?